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法秀院 (山内一豊母) : ミニ英和和英辞書
法秀院 (山内一豊母)[ほうしゅういん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [いち]
  1. (num) one 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

法秀院 (山内一豊母) : ウィキペディア日本語版
法秀院 (山内一豊母)[ほうしゅういん]
法秀院(ほうしゅういん、生年不詳 - 天正14年7月17日1586年8月31日))は、戦国時代の女性。山内盛豊の妻、山内一豊康豊の母である。法秀尼(ほうしゅうに)。
==来歴==

法秀院は羽黒城主梶原氏出身であるとされている。他に尾張国二宮氏の出身とも言われるが、これは明らかになっていない〔山本、43-44頁。〕。盛豊との間に四男三女があったとされる。このうち長男は早世、次男は夫と共に岩倉城で戦死し、三男の一豊は母や姉、弟妹共々逃げ落ちている〔渡部、32頁。〕〔山本、34-36頁。〕。その後法秀院は、子供たちと共に近江国宇賀野(現在の米原市北部)の長野家に身を寄せた。この長野家は在原業平の後裔とされ、御所公卿に関連する職務を行っており、武家が干渉することもないとの配慮からであるという。一豊がこの地で母と同居していたかどうかは不明だが、ある時一家がここに匿われているとの噂が流れたため、長野家は急報を受け、厳重に警戒するように促されている〔山本、43-55頁。〕。また、同じ頃長野家で近くの子女に裁縫や行儀作法を教えており〔長浜城歴史博物館、66頁。〕、その子女の中に後の見性院がいたといわれている〔。男の出世は妻次第であると考え、良い娘を娶らせたいと考えていた法秀院は、後に見性院と呼ばれるこの娘を一豊に娶せた〔小和田・木嵜、67頁。〕。
長野家には今も法秀院の法号書や、まな板代わりに愛用した一升枡が保存されている。他にも、名馬購入の話は、実は見性院ではなく、この法秀院が金子を与えたともいわれ、「法秀院殿由緒書」「長野家由緒書」にはいずれも母君が黄金を与えたとある〔山本、78頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「法秀院 (山内一豊母)」の詳細全文を読む




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